石田誠 南蛮の器展vol..4

2008/3/15(土)−22(土) 
(会期中無休)
[作家在店日15、16日]


瞬間的に表情や量感をとらえ、
一気に描いた素描を見るような感覚を、
石田さんの焼物に覚えます。
その場その時の空気をも写し取ったような、
生きた形があるように思えるのです。
特異な感性と表現力の持ち主に違いないです。
展覧会では、南蛮焼き締めに紅毛手、
白磁(一部染付け)が並びます。
端正な顔立ちをしていた白磁は、
ここのところ、少し荒削りな風貌へと、
表情を変えつつあり、見所の1つでしょう。

今年も愛媛県松山市に、石田さんを訪ねました。
(パトロールに来たと今年も言われました・・・)
大きく何かが変わった様子も無かったと思った
のですが、ありました・・・ Macが新機種に変わり、
違和感を放つコーナーが出来ていました。

伺った日は、昨夜まで南蛮焼き締めの窯焚き(3日間)をしていたという日の翌日。お疲れのところだったのですが、
石田さんは、大仕事を終えて、ひとまずホッとした様子で、思いの外、スッキリとした顔で出迎えてくれました。

窯場に行くと、煙が煙突から少しだけのぼり、窯全体からはまだ熱気が揺らめいていました。
今回石田さんは初心に戻り、薪割から窯焚きまでほぼ一人でやったそうです。(自分を試したようです)
屋根まで積み上げられていただろう薪はわずかとなっており、過酷な労働があったことを想像させます。
そして、器を抱いて眠りにつている様なこの窯のそばにいると、神聖な気持ちにもなりました。
(空気も清々しく、心地好い暖かさもあり、そばで寝転びたくも・・・)
展覧会でご紹介する南蛮の器は、この窯の中にあり、店主も見る事は出来ませんでしたが、
後日、窯出しをした石田さんより[まずまずでした][かりっとやけました]と知らせが届いています。
楽しみにしていいのかもしれません・・・

どの作家の工房を訪ねても、言い出せず
にいた事がありました。(ちょっと遠慮して)
[轆轤をひくところを見せて欲しい]
今回、お願いしてみました。
石田さんの形はどう生まれているのか
目の前で見せていただくことに。
南蛮の仕事には区切りがついていたので、
まだ窯焚きの残っている白磁で。
工房はお世辞にも綺麗とは言えず
(はっきり言ってゴチャゴチャです)、
贅沢すぎるほどの広さがあるのですが、
これがまた部屋が暖まりにくいという
難があるようです。まずは、ストーブに
薪をくべることから作業は始まりました。
左上:薪をくべる石田さん。
左下:白磁を焼く電気窯。
右上:30畳ぐらいはありそうな工房。
右下:石田さんちの猫[ナット]
    気持ち良い場所よく知ってます。

土練機にかけた砥部の磁器土(画像左)を、大きな切り株の上で土練りする石田さん(中央)。
練り上げたもの(右)。フットボールの様な形でフィニッシュ。

1、器1個分の土取はせず、この塊から、いくつも連続でひく[山びき]をしていきます。その方が
  作業効率が断然いいんだそうです。(南蛮の土は切れやすいので、一個びきだそうですが)
2、山の上部中心から見込み部分が徐々に広がっていきます。ごくごく自然な感じ。
3、見込みに木ごてをあてて胴が丸みを帯びてくると、美しい石田さんの碗の形が見えてきます。
  職人は器の形に合わせてこてを変えるそうですが、「種類があっても使いこなせない」と、
  石田さんはこのこて1つで勝負しているようです。
4、切り糸で切り離すのはあっと言う間の事で、何度もシャッターを押し損ねていました。
  気が付けば碗が4つ5つと下げ板の上にのっており、静かに作業は進んでいきました。

白磁5寸碗です。
締めてひいていても、
フワッとやわらかな
感じがします。

[石田さんの足元に注目]
以前はスニーカーを履いて
作業をしていたそうですが、
靴の中に土が入るのが
嫌で、この様に草履を
履くようになったそうです。

碗を10個作ったところで、5寸碗を作るには少し足りない分量の土が轆轤に残り、「じゃ、徳利でも作りますかっ」となる。

   →
柄ごてという
道具を中に入れ、
胴部分をならし、
ふくらみを
もたせていく。

 →
筒状に
ひき上げる。

 →
肩部分を
絞る。

なめし皮で口を
整え、手跡も
消して出来上がり。
胴のふくらみ具合も
ほど良くて、口も
上品な徳利です。
後は乾燥させ、施釉
(生がけ)、焼成へと
続きます。

[これ何ですか?] 瓦礫の山を写したような画像もありますが、石田さんの作陶に必要な道具の一部です。

A

B

C

D

E

A、自作スケール。焼いた時の収縮率が計算されたもの。ですが左右微妙に違っているらしい。石田さんなのでそれもOK。
B、トンボという、同サイズの器を続けて作る時に使う道具。口径と深さをT字(石田さんのは十字)にし、器の大きさを測る。
C、大きなピッチャー型のバケツには、水を温める為の電熱機が差し込まれている。轆轤をひく際、水で滑らすので、
  その水を温めている。意外と早く温まる優れ物です。
D、長い柄の先がフック型になっているこの棒が、柄ごてです(徳利制作の時に使われていた)。立ち物などで、
  手の入らないものを作る際使うようです。
E、白磁リム付皿を作る時の石膏型がこれだそうです。一番大きい(右端)物は、尺皿用だそうですが、店主には
  持ち上がらないほど重い物でした。これで作られた尺皿、展覧会でご紹介することになってます。綺麗でした。

この春、東京から一人の青年が、
修行かたがた、石田さんの手伝いを
しにやって来ることになっています。
その青年が住み込む部屋を石田さんが
見せてくれました。こじんまりとした
可愛い部屋で、ベットも用意済みに。
その部屋の窓辺に、世話をされている
様子もないサボテンが育っていました。
でもこのサボテン、昨年の夏、黄色い
花を咲かせたんだそうです。

石田さんに案内をしていただき、
砥部(砥部焼き産地)に向いました。
石田さんの工房からは直線距離だと
たいして離れていないのに、間に山が
あり、だいぶ迂回して行くようになります。
作り手を訪ねて下さったり、観光センター
に行ったり。また、石田さんがお世話に
なっている、佐川さんという製土所にも。
石田さんの話だと、ここの磁器土は、
丁寧に製土されているから、細かくて粘り
があり、轆轤がひきやすいんだそうです。

田畑の中にある製土所。

粉砕される前の陶石。

 →
指先で
首から口を
締める。
神経つかう
部分でしょう。

言葉で容易く表現しようとしない、
多くも語らない石田さんですが、
態度や行動には、それ以上の、
思いやりに満ちたものが、
誰に対してもある人のように思えます。
とぼけていて突っ込みどころ満載。
本人はいたってまじめな話でも、
何故か笑い話のようになって
しまうキャラクターです。

19655年 愛媛県に生まれる
1988年 愛知県瀬戸市に転居
1989年 愛知県立窯業高等技術専門校
       専攻科卒
1996年 愛媛県松山市窪野町に築窯

[番外・1]
砥部から松山市街に向かう途中で、花火と
見間違えたのがこの観覧車。(かなり遠くから
でも見える) 松山市駅前の高島屋屋上に
これはあるらしい。デパートの屋上に遊戯
施設が無くなっている昨今なのに驚いた。
しかもこんな大きなものが。ライトの色
パターンが他にもあり、とてもきれい!
そしてテンションが上がってしまったのが、
ライトアップされた松山城が見えた時です。
カッコイイ!これが繁華街から見えるんです。

松山市街は東京をギュッとコンパクトにした様なところがあります。活気があり、おしゃれなお店も多くて。
加えてちょっと行った所に観光スポットがあるのもおいしい街!更に今回知ったのが、細い路地に入ると、
懐かしい佇まいで、タイムスリップさせられたような飲食店が数多くある事です。洋食屋さん(野咲)と、
鍋焼きうどんの店(アサヒ)に入りましたが、どちらも松山ならではのメニューと、クセになる味でした。
働いている方々も、信念もってる感じで(揺ぎ無いスタイル)、なんかいい!仕事っぷり、見入ってました。
そして今回は市電に乗り、2年ぶりに道後温泉へ行って参りました(市街地からすぐ)。もちろん温泉につかりに。
右下画像が道後温泉本館です。100年は経っている建物だそう。中もいいですよ。映画の[千と千尋の神隠し]
の湯屋のモデルらしいですね。いい湯につかり、気分も新たにして帰って来たのでした。

[番外・2]
富士山を見るとわくわくして、その日はいいことあるような気になります。四国上陸前に見た富士山です。

H.worksのある立川市を走る
モノレールから早朝見た、
朝焼けにほのかに染まる富士。

羽田を離陸して間もなく、旋回している
飛行機からチラッと見えた富士。

火口上空です。
滅多に見られない
立体的な富士。

2006年
2005年
2007年

以前に石田さんの
工房を訪ねた様子は
こちらから

exhibition にもどる

健康の為、ランニングを始めた石田さんです。